このブログを始めた、きっかけについて。
私がこのブログを書こうと思ったきっかけを、記しておこうと思います。
というかこれがないと、一応どこかの誰かに向けたブログなので、届けたい声も届かないだろうなと思ったから。
私は、誰かに診断されたわけではありませんが、立派な「アダルトチルドレン」です。
私が育った家族は、これまた立派な「機能不全家族」で、最近になってようやく感情の波がゆるやかになってきたけれど後遺症は未だに残りまくりな家族なのです。
※詳しいことは、これから少しずつ記事にしてゆきます。
10~20代のころはどうにかこの社会になじめるように、なんとか生き抜こうと、いろいろな処世術を身につけて行動に移し、生きてきました。
しかし、その行動のそのすべてにおいて、いつも「無理」をしていたのだということを知り、振り返った時に、「これまでの人生の意味って、選択の意味ってなんなん?」と絶望したものでした。
いつも、居場所がないと思っていました。
いつも不安で、焦燥感に駆られていました。
ベストな選択を、と、大真面目に大学を中退したり関東から九州へ移住したり海外に行こうとしたりしていました。
私の友達はハイスペックな人が多いので、これまでの人生を見ててくれた周りの人はおそらく、それぞれの選択に対して「それで大丈夫?」という目で見ていたと思います。
本当に紆余曲折あって、昨年どん底に落ちて、全部やめて。
人生初めてのカウンセリングに行き、心療内科に通い…いろいろと振り切って、やっと、10代後半くらいの気持ちになれたような気になりました。
今は、正規職員、一人暮らしでなんとか自立し始めました。
他人から見れば随分前から自立しているように見えていたと思いますが、自分の中では本当の意味での自立ができ始めたように思っています。
これは、過去のことは何も解決はしていないしたぶんしないとは思うけれど、過去との折り合いは確実についてきたからだと思います。
家族の名誉のために書いておきますが、今ようやく一緒にご飯を食べても普通の家族っぽくなり、それぞれが愛情の表現が驚くほど下手くそだったのだと知りました。
ただ、そこで経験したこと、感じたことは消えることはないのです。
本当にたくさんの葛藤があって、様々な感情を経た今はもう、家族を責めることはないと思いますが、悲しかったこと、苦しかったこと、ぶつけたかった感情、言いたかったこと、心にしまったいろんな感情は、少しずつ整理してゆく…「つきあっていく」ものなのだなと思っています。
今はこんな風に思っていて、そう思うようになったのはなぜか。
また、等身大の自分が思うことはなにか。
このブログを通じて、その時々で変化していく感情、気づきはなにか。
そんなことをここに記して、誰かに何かが伝わればと思っている次第です。
私は、ここに至るまでにたくさんのモノに助けられてきました。
音楽、ドラマ、映画、本、ブログ…
ああ、似た人がいるんだ、同じように考える人がいるんだ、この人はこう考えていてこうなったんだなと、自分と似た人を探して希望を見出して生き抜いてきました。
わたしのブログが希望につながるかどうかわからないけれど、どこかにいる誰かに対して何かが響いたり、その所在のなさを少しでも癒す(?)、そんなブログになればと思っています。
そして、私のブログはセンセーショナルな内容はないと思いますが、こういう人が世の中にはたくさんいるんだということ。
そして、お互い様なのだからみんな助け合っていこうよと、優しい気持ちであれる世の中になればいいねという、どこかの誰かに向けてのそんなメッセージにもなればと思います。